Profile

矢作治療院 院長

矢作晋 (やはぎすすむ)

1960年9月 大阪市阿倍野区の通天閣が見える病院で生まれる。父(矢作義孝)の仕事が、近鉄バファローズのトレーナーであったことから小学校5年生まで近鉄の本拠地、藤井寺球場の裏の団地(春日丘公団住宅)に住んでいた。5年生の12月から奈良県生駒郡平群町へ引っ越し、中学まで過ごす。高校は日大三高に進学。日大三高では、ただ一人の準野球部員として当時の監督、小枝守監督に鍛えられる。高3の夏休み明けに日大三高を中退し、アメリカへ留学する。アリゾナ州 Scottsdale にある Judson School に留学し、アメリカの高校の単位を取得するのに2年費やす。その後、アメリカのESLクラスやアダルトスクールを転々とし、見切りをつけて帰国する。帰国後は、東京都新宿区の東京鍼灸柔整専門学校(現 東京医療専門学校「呉竹学園」)で鍼灸マッサージを勉強、国家資格を取得後に、西武ライオンズに、根本管理部長の計らいでトレーナーとして入団する。しかし、トレーナーの派閥争いで12月に戦力外通告を受ける。次に父が顧問であった大洋ホエールズに入団(父の代行みたいな状態で)するが、11月で辞表を出す。次いで、東京読売巨人軍(読売巨人軍)に正力亨オーナーによって入団する。その後19年間巨人軍で選手のサポートを完遂する。入団当時にいた選手で残っていたのは桑田真澄投手だけとなり、桑田選手が引退を決意していることを知って、自分も引き際と感じ、2006年に退団する。2007年4月に、日本橋に「矢作治療院」を開業し、一般の患者さんを対象に今までの経験を活かせるよう研鑽しています。 現在に至る。

簡単な自分の歴史を述べさせて頂きました。まだまだ波瀾万丈とまではいきませんが、これからが本番だと思っています。

よろしくお願いします。